2017年1月25日水曜日

34日目、タージマハル観光、インドの薬局

夕方のデリー行きの電車まで時間があるので、
今日アーグラの観光をしてきました。


まずは、有名なタージマハルです。
ここの入場料は、現地人は40ルピーですが、
外国人は1000ルピーと激高です。


入場場所とチケットの発売場所は違うので、
先に、タージマハルから1kmほど離れたチケット売り場に行かなければいけません。


クレジットが使えたので、クレジットで購入しました。
チケットを買い終わると、おっさんにガイドを雇わないかと声をかけられました。
そのおっさんは正式なガイド員だといって、自分の名刺のようなものを見せてきました。


そこに値段も書いてあったのですが、
インド人で1500ルピー、
外国人でなんと2000ルピーです。


いらないいらないって言って行こうとすると、
500ルピーでどうだとか、勝手に値段を下げてきます。
それでも高いので、 断り続けてたら諦めてくれました。


このチケット売り場の周辺、
たくさんのリキシャやトゥクトゥクが声を掛けてくるのですが、
チケット売り場からタージマハルまで、無料の送迎車があるので、
それに乗れば問題ないです。



タージマハルは荷物検査が厳しく、
自分はノートパソコンを持っていたので入場できませんでした。
どうすればいいか聞くと、
荷物の預け場所があるが、ここから1kmほど離れていると。


めんどくさ。
と思って嫌そうな顔をしたら、警備のおっちゃんが、
あの土産物屋に預けたらいいと言い出しました。



警備のおっちゃんのいうことなので信用して預けたら、
土産物屋に、
「無料で預かるが、あとでおみやげみてね」


ああ、きたか。
返してもらうときにバトルになるだろうなと思ったのですが、
一回はインドでこういう状況にあってみたいと思ったので、
むしろわくわくしてました。



そんなこんなでタージマハルです。
ここでもガイドを雇ってくれってめっちゃ声を掛けられました。










さて、タージマハルを見終わって、
いよいよ土産物屋との対決です。


土産物屋に行くと、次々と商品をだしてきます。
大理石の象、箱、キャンドル、さまざまです。
いかにその商品が素晴らしいかを語るのをふんふんと聞き、
最後に、
「でも実用性ないからいらないや」
と数回いうと、意外とあっさり引きさがってくれました。


ただ、今度は、
「荷物を見てたんだから、手間賃をくれ」


まあはじめは無料とかいってましたが、
確かにそれで助かったので、
お礼に10ルピーだけ渡して収まりました。
もっと激しくバトルかと思ったんだけどな。笑



ランチには、フライドライスとソルトラッシーを頼みました。
はじめ、注文を間違えられてスウィートラッシーが来たのですが、
1口飲んで気づいたので、それをそのまま返しました。





すると、店員が、そのコップを、なんと冷蔵庫の中へ。
おそらく次の客へだすのでしょう。
ノープロブレムとかいってましたが、
こっちからしたら十分プロブレムだよ。


タージマハルを見ている途中くらいから、
だんだん体調が悪くなってきたので、
アーグラ・フォートにいくのはやめて、電車の時間まで、
昨日のホステルで休むことにしました。
のどが痛いし、咳も止まらないし、
鼻をかんだら黒いものが出てきます。笑
おそらくインド含む、これまでの国の排気ガスにやられました。
そしてお腹も下してる。


さすがにやばかったので、
駅に向かう途中で薬局によって、
薬を買うことにしました。


薬局のおっちゃんに、症状を伝えると、
薬を持ってきてくれました。


3日分の薬をくれて、200ルピー程。安いです。
ただ、これらの薬を飲んで大丈夫なのかはわかりません。笑
特に下痢用の薬は毒々しい色をしてます。
すごく心配になります。




駅について、
時間ギリギリに電車に乗り込みました。
どうせ出発なんて遅れるだろうと思っていたのですが、
この電車は定刻どおりの出発で焦りました。




内装は、2列シートと3列シートで、
新幹線のような感覚です。
飲み物から食事、チャイ、アイスまで出てきて、
かなり豪華なサービスでした
途中で薬をこぼしたときにナプキンをお願いしたら、
すぐ持ってきてくれました。
この電車は755ルピーでしたが、
この内容なら納得です。


ノンストップでデリーに到着すると、大量のタクシーとトゥクトゥクが声を掛けて来ます。
体調も悪くてあんまりこの人達と関わりたくなかったので、
はじめのトゥクトゥクドライバーにだけ、いくらか聞いてみると、
なんと4kmの道で3000ルピー。
自分をインドの相場を知らない旅行者だと思ったか、
ただ言ってみただけなのかは知りませんが、
どちらにせよ相手にするのが面倒くさかったので、
去ることにしました。


すると1人がずっとついてきて、
「さっきのは騙してみようと思っただけだよ、500ルピーでどうだ」
って叫んでましたが、それでもボッタクリ価格です。
自分の運がなかっただけかもしれませんが、
デリーの印象が悪くなった瞬間でした。


ちょっと歩くと、また声を掛けられます。
「マスター、良いホテルあるよ」
「もう予約してるんだよね」
「そうなんだ。でも僕のすすめるホテルは、温水も出てwifiも使えて...」
「だから、もう別のホテル予約してるの。必要ないから」
「必要ないのね。でもね、僕のホテルは...」
「だから、必要ないから」
「お前には必要だ」
「いらない」


こんなことを何回か繰り返しても、やめてくれなかったので、
いい加減頭にきて、
「だからいらねーよ!消えろ!」

と怒鳴ったら、さすがに伝わって引っ込んでくれました。
風邪でだるかった体も、怒鳴ったせいかしゃきっとしてしまいました。
デリーに着いてから、数十分程度でものすごく血圧が上がりました。


元々メトロで宿まで行く予定だったのですが、
途中でバスターミナルを見つけたので、
そこで聞いて、近そうなところまで向かってくれるバスに乗りました。
15ルピーです。
こんな場所でもバスは安いです。


バスを降りて、宿まで歩いてるときも、
今度はツアー会社の客引きに声を掛けられました。
こちらは風邪で早く宿にいきたいと言っているのですが、
ずっとついてきてツアー会社に連れ込もうとします。
途中から無視していたのですが、
諦めずについてくるあたり、インド人はたくましいですね。


今日の宿は、1泊450ルピーとかなり高いですが、
wifiもホットシャワーも使えて快適でした。
ほんとは明日も1日寝ていたいのですが、
明日は満員で延泊できないみたいなので、
キャンセルが出ることを祈ります。

33日目、ファテープルシークリー

アーグラへの夜行列車にて寝る前、3時間で1/4くらい進んでいるのを確認し、
これはもしかしたら時間通りにアーグラに着いてくれるかもと期待を抱いて、
朝5時にアラームをセットして寝ました。


が、アラームで目を覚まして、
マップで現在地を確認すると、なんと、
全体の半分も進んでない。
もしてして、運転手も寝てたのでしょうか...笑


結局全然時間通りに進んでなかったので、
隣の3段ベッドで寝てたカナダ人の青年と喋って時間を潰してました。
このカナダ人、30くらいに見えたんだけど、
実際は21で自分よりも若いらしい。
白人の年齢はほんとにわからない。


遅れること7時間、19時間掛けてアーグラ・フォート駅に到着しました。


アーグラはタージマハルで有名な街ですが、
タージマハルは明日にして、今日はファテープルシークリーに向かいます。


この駅のチケットカウンターで、
40km離れたファテープルシークリーへのチケットがなんと10ルピー。
インドの鉄道はこんなに安いんですね。



ただ、日本のように1時間に何本も電車があるわけではなく、
この日のファテープルシークリー行きの電車は、
残り午後2時発のと午後7時発のしかありませんでした。


時間があったので、明日のデリー行きのチケットもここで予約しました。
こちらはクレジットが使えたのですが、
お値段はなんと755ルピー。
バラナシ〜アーグラの半分以下の距離しかないのに、
値段は倍以上です。


しかしこれしか空きが無かったので、
この電車を予約することにしました。


ちなみに、デリー行きの電車は、
ここアーグラ・フォート駅からではなく、
アーグラ・カント駅から出ています。
しかも、この2駅間の移動手段はトゥクトゥクしかないので注意が必要です。


さて、午後2時発ファテープルシークリー行きの電車に乗りました。
電車の中はこんな感じです。





一般席だったので、インド人でパンパンになった電車を想像していたのですが、
意外と中はスカスカでした。



それにしてもこの電車、なかなか発車しません。
結局30分ほど遅れて発車したのですが、
5分ほどのろのろと動いて次の駅に行った後、
またしばらく動きませんでした。
この間に、たくさんのチャイ売りやお菓子売り、水やパン売りなどが、
電車の中から外から声をかけてきます。
こういうのはいいから早く出発して欲しいんだけど。
と思っても動きません。


個人的に、バスの遅延は許せても、
電車の遅延はなかなか許せないのですが、
周りのインド人はピーナッツをポリポリかじりながらゆったりとしています。
インドでは自分もこの人達を見習わないといけないですね。


再び30分ほど待った後、
ようやく電車は出発しました。


ここからは速くて、約30分弱で目的地まで到着しました。
そんなに速く移動できるなら、最初から本気だして欲しかったな。笑



この電車の中で、目の前に5人組くらいの青年がすわりました。
こいつら、たまに声を掛けてくるのですが、
なんか変な動きをしている気がする。
もしかしたら荷物を狙ってるんじゃないかと思って、
常に荷物を確認していました。


到着間際に、どこに行くんだと聞かれ、
有名なところに行きたいというと、
途中までついてきて、道を教えてくれ、
そのままどこかにいっちゃいました。
またまたインド人を疑ってしまった。


その目的地、ファテープルシークリーの周辺では、
ガイドが雇ってくれとめっちゃ声を掛けてきます。


自分は前知識もなかったので、
ガイドを100ルピーで雇って、いろいろと話を聞かせてもらうことにしました。


ガイドは若い青年でしたが、
インド人にしては英語もそこそこ聞き取りやすく、
良かったと思います。
写真撮影のおすすめスポットがあるらしく、
いろんな写真をとってくれました。









ガイドの最後に、おみやげを買わないかと言って、
象の置物を見せてきます。
確かにクオリティも高そうに見えるし、
そんなに高くなかったのですが、
普通にいらないので断ったら、
しつこくは言ってきませんでした。
ただ、最後にチップを請求されたので、
10ルピーだけ渡すと、それに不満だったのか、
フレンドとかいいながらもあっちへいけみたいなジェスチャーをされました。
わかりやすいですね。笑


帰りはバスです。
帰りの電車は午後8時の電車しかなかったので、
そこそこ本数のあるバスで、アーグラまで帰ることにしました。
電車より高くて40ルピーでしたが、
変な売り子も来ず、止まらずでちゃんと走ってくれます。笑


このバスの中で、
インド人ご一行に声を掛けられました。
はじめましての後に交代交代でバシバシ写真を撮られ、
さながら有名人の気分です。



といっても、会話は、自分が、
「このホステルまでトゥクトゥクでいくらでいけると思う?」
と聞いても、
「僕は君と話せてハッピーだよ。君もだよね?」
って感じだったんで、全然成り立っていませんでしたが。笑


バスを降りるとトゥクトゥクが声を掛けてくるのですが、
予想外に、ボッタクリ価格は掲示してきません。


これは、バラナシでもそうでした。
インド人のトゥクトゥクは騙そうとして声を掛けていると思って警戒していたのですが、
彼らをみていると、
単純に仕事が欲しいだけなように見えました。


そのトゥクトゥクで宿まで連れていってもらいました。
最近移動続きで体調があまりよくないので、ちゃんと休みたいと思います。

32日目、トゥクトゥク交渉、アーグラへ

今日は、寝台列車に乗って、アーグラへ向かいます。
といっても夕方なので、それまでラムナガール要塞を観光することにしました。


宿からラムナガール要塞まで、結構距離があったので、
今日はインドのトゥクトゥクデビューを狙っていました。


とはいっても、昨日の一件で、
1人で乗るとどうしても高くなることが分かったので、
シェア乗りを考えました。


実際、街を走るトゥクトゥクを観察していると、
現地人はまず一人で乗っていることはないです。


大通りに出ると、早速客引きに声を掛けられたので、
聞いてみることにしました。


「へい、そこならラムナガートなら100ルピーだ」
「シェアしてもっと安く乗りたいんだけど」
「ないない、これはシェア用じゃないんだ」


1人目のおっちゃんはダメでしたが、
すぐに別の客引きが声を掛けてきました。


「どこまでいくの?」
「ラムナガートだけど、シェア出来る?」
「もちろんさ」
「いくら?」
「20ルピー」


おっ、今度はうまくいきそうです。


その兄ちゃんについて行くと、
さっきシェア用じゃないと断られたおっちゃんのトゥクトゥクに連れて行かれました。
すでにそのトゥクトゥクは満員だったので乗れなかったのですが、
そんなすぐバレる嘘つくなよ。笑
これがインド人か。。


別のトゥクトゥクに無事に乗ることが出来ましたが、
なんと、日本人の感覚だと2人定員のところに3人のりこみ、
さらに運転手の両隣に無理やり乗れるので、
5人乗ることができます。
だからこんなに安くなるんですね。


自分は後ろの座席に座れたのですが、
運転手の両隣に座ったおっちゃんは、
ちゃんと車につかまってないと振り落とされそうでした。


ちゃんとラムナガート要塞まで連れて行ってくれて、
料金も20ルピー以上は請求されませんでした。
スペース的にはキツいですが、
無茶苦茶安くなるので、自分はこれで大丈夫でした。


ラムナガート要塞は、インド人は20ルピーですが、
外国人はなんと150ルピーです。
それでも現地人学生の25倍取るネパールの博物館に比べたら良心的ですが。
写真NGだったので撮ってないのですが、
武器から衣装まで、いろいろなものが飾ってありました。
統一感はあまりなかったです。
銃を持った警備員が何人か立っていました。



見終わって、普通のジュースが飲みたくなったので、
その辺の店に買いに行くと、
先に座ってたインド人に話しかけられました。
ラムナガートでも、目があっただけで話しかけられましたし、
屋台のパンを食べてたり、チャイを飲んでるだけでも話しかけられるので、
インド人はかなりフレンドリーです。


再びホテルまで戻るために、
シェアトゥクトゥクを探しましたが、
今度はなかなか見つかりませんでした。


仕方がないのでインド人の力を借りようと思い、
さっき話してたインド人の助けを借りに行ったのですが、
結局1人で乗ることになってしまいました。


しかも料金交渉終わった後に、
ついでに同じ方向に行きたいからって乗り込んでくる。
ちゃっかりしてるわ。笑


ホテルに戻った後、少しだけ時間があったので、
ガートに行くことにしました。


こちらはアッシーガートで、
誰も燃やされていませんでした。
日曜日というのもあって、
みんな座ってぼーっとしています。



自分は遺体が燃やされているガートまで行って、
そこでぼーっとしていると、
うしろからおっちゃんがやってきて話しかけられました。


「日本人か?」
「そうです」
「どうやって燃やしているか知ってるか?」
「昨日も来て、ガンジス川の水を掛けたり、いろいろなものを燃やす前にふりかけているのは見かけました」
「日本でもこんな燃やし方をするのか」
「日本は外で、薪を使って燃やしたりしないです。建物の中で、見えないように燃やします。」
「インドにもあるよ。あの建物、中で見えないように、電気を使って燃やすんだ」
「え!?じゃあなんで外で燃やしてるの?」
「本当は外で薪を使って燃やすべきなんだが、金持ちしかできないんだ。あの建物の中で燃やすと500ルピーだが、外で薪を使って燃やすと7000ルピーかかるんだ。」
こんなところでも格差があるのか。


他にも、ヒンドゥーの葬式に関わるいろんなことを教えてくれて、
結構ためになりました。
ただ、向こうから話しかけてきたので、
いつお金をよこせとかいうのかと構えてたのですが、
いつのまにかどっかにいっちゃってました。
完全にただの良心で教えてくれてたみたいです。
疑ってごめんね。



気づいたらぼーっとしすぎてて、
電車の時間も迫ってました。
これはトゥクトゥクに乗らないと間に合わない。


あわよくばと思ってシェアできそうなトゥクトゥクを探したのですが、
あいにくどれも満員でした。
仕方がないので、声をかけてきたトゥクトゥクと交渉して、
130ルピーで駅まで連れて行ってもらいました。


東南アジアの街はどこもそうなのですが、
特にインドのクラクションは鳴り止みません。
もう慣れましたが、
初めて聞いたときはカルチャーショックを受けました。笑



バラナシ駅です。
バラナシには駅が2つあるので、注意が必要です。




ここで困ったのが、電車の乗り方が分かりません。
インド人に聞くと、みんな親切に答えてくれるのですが、
みんな答えが違うので思いっきり困惑しました。笑


自分の場合は3組に聞いて、3通りの答えが返ってきたのですが、
最後に聞いた兄ちゃんが正解の電車に連れて行ってくれてなんとかなりました。
電光掲示板に表示されてたプラットホームの番号と違う場所でした。
ほんとに初見殺しです。


電光掲示板に遅延情報も表示されるのですが、
インドらしく、ほとんどの電車が遅延してました。
おかげで自分も助かりました。



車内はこんな感じです。
エアコン無しの3段ベッドです。
今は冬なのでエアコンは不要です。
バラナシ〜アーグラの12時間の電車で、
料金は340ルピーと、
自分の場合は旅行代理店で取ってもらったので手数料が120ルピーでした。




車内には、チャイ売りが頻繁にチャイを売りにきます。
電車価格だと思ってましたが、
普通にその辺の店と同じ10ルピーで、
味も良かったです。
夕飯のサービスもあり、ベジタリアンメニュー80ルピー、
ノンベジメニューが120ルピーで頼めます。
自分は安いベジメニューをお願いしました。


こちらはタイのように車掌さんがベッドメイキングしてくれるということはなく、
シーツも何もなしです。


寝る時間の1,2時間前になると、警備員さんが回ってきて、
荷物はきちんと手持ちの鍵でロックするように言いにきました。

このインド人も、みんなの荷物を守るために、
警棒だけじゃなくて、拳銃ももってるんだぜって感じで、
隠し持っている拳銃も軽いノリで見せてくれました。
さすがフレンドリーなインド人、
きちんと仕事も果たしてくれることを祈ります。

31日目、ガンジス川のほとりで

ネパールから来たせいなのですが、インドに来て、
ものすごくインフラの整った国に感じてしまいました。
毎日停電はない、水もだいたいどこでも出てくる、
道路もだいたいあって快適に車に乗れる。


とくに、ネパールでは水がないところが多くて、
手が洗えないどころか、トイレが使えるところも限られ、
もちろんシャワーなんて浴びられないので、
3日間歯磨きも手洗いもシャワーも出来ず、
寝る、食べるだけという、
最低限のQOL を体感してきました。笑


インドに来て、これらの当たり前のことが出来て、
本当に幸せでした。
インフラって当たり前に考えていましたが。
すごく大事なことですね。


朝、早速同じドミトリーに泊まっていたインド人4人組に声を掛けられました。
彼らは22歳の若さにも関わらず、プロのミュージシャンと、エンジニアという、
2足のわらじで働いていました。


はじめはインド人の軽口かと思っていたのですが、
youtube にも確かに自作の曲をいくつも上げてるし、
自分の院生時代の板書の写メを見て、
内容を理解していたので、
この人たちガチで多彩な人達でした。
インド人恐ろしや。


外を歩くと、たくさんの店や屋台が並んでいます。
まずはじめに、腹ごしらえです。
サモサと言って、外側がパリパリの生地で、
中にぎっしりとカレー味のじゃがいもなどの具が入ったパンが、
1個なんと5ルピー。安すぎる。
美味しいし、これ一個で結構お腹にきます。



サモサと別に、
はちみつがぎっしり詰まったパンと、
軽いカレー風味のパンも食べたのですが、
この2つも合わせて13ルピー。
(全部食べかけですみません)






ネパールでは食費の高さに辟易していたのですが、
インドのこの安さはほんとにありがたい。


その後、チャイを飲むことにしました。
だいたいどこでも、1杯10ルピー(1インドルピー= 1.6円)で飲むことができます。



チャイをすすっていると、
おっちゃんたちが掛け声をあげながら、
小さい神輿のようなものを運んでいきました。
チャイ屋のおっちゃんに何か聞いてみると、
なんと、遺体だそうです。


バラナシは、そういう街だとは知っていたのですが、
まさか、こんなすぐに見られるとは思っていませんでした。


チャイを飲み終わって歩き始めると、
ひっきりなしにインド人から声を掛けられます。
「ハロー」
「ヘイ!フレンド」
「こんにちは、ニーハオ」
「リキシャー、シットダウン」
「カム!カム!」
などなど。
目的も、リキシャ、レストラン、シルクショップ、楽器のレッスン、物乞い、麻薬や風俗などなど、
さまざまな勧誘です。


すぐに話すのもめんどくさくなってくるのですが、
そこそこ日本語を話せる人だったり、
裏声で勧誘してくるおっちゃんだったり、
勧誘の方法も人それぞれだったりで、
なかなか飽きないです。笑


結局、勧誘はほとんど断ったのですが、
日本語を話せる青年と30分位話していて、
彼の友人がやってる床屋で髭剃りをしてくれるというので、
そこにだけはお邪魔することにしました。


実は、旅に出てからめんどくさくて髭を剃ってなかったら、
いつの間にか電動髭剃りでは歯が立たなくなってて困っていたんです。
値段も、80ルピーと、そんなボッタクリには感じなかったのでお願いしました。


結果、きちんと新しい刃も使ってくれて、
インド式ヘッドマッサージもしてくれたので満足でした。
後から追加請求されることもなかったです。


その青年には、変な話が出てくるまでは乗っかってみようと思っていて、
実際いろいろなジョークも話せて面白かったのですが、
明日友達の誕生日パーティがあるからぜひ来てよ、とまできて、
さすがに怪しかったので、そこで適当なことを言って逃げてきました。


そして、ガンジス川へ。
ここバラナシには、ガンジス川の川沿いに、
たくさんの火葬場(ガート)があり、
ここに遺体が運ばれてきて、燃やされます。




川沿いに行くだけだから簡単に行けるでしょ、と思っていたのですが、
ゲートの数が限られていて、
そこまでの道が入り組んでいるので、
なかなか川沿いに到達するのは難しかったです。
現地のインド人の助けは必須だと思います。


ガートにたどり着き、まずはじめに思ったのが、
こんなところで燃やしてるの?です。


火葬場とは書きましたが、
日本のような火葬場はなく、
いわば普通の川沿いで、屋外で、小さくキャンプファイヤーのように薪を組んで、
その間に遺体を挟んで、燃やしています。


そして、そのすぐそばで、
普通に関係ない人がガンジス川で沐浴したり、
洗濯してたり、
子どもたちが遊んでたり、
牛、犬、羊などたくさんの動物がゴミを漁ってたり。
どうみても日常の生活風景です。





本当に、直ぐ側で人が燃やされていると思わせられないような光景がありました。


もちろん、どこかから葬送用の楽器演奏やお経が聞こえてきたり、
遺族が泣き叫んでたりとかも見ましたが、
それ以上に、そんな印象が強く残りました。


燃える遺体と周囲の様子をぼんやりと眺めながら、
自分たちとインド人の死生観について考えていました。


ボートにも乗ることにしました。
1時間ほど1人で貸しきって、400ルピーでした。
火葬場は撮影禁止だと思っていたのですが、
ボートの兄ちゃんがいいよと言ってくれたので、
撮ることにしました。
遠くからなら問題ないのでしょうか。










バラナシ、面白い街です。

29,30日目、カトマンズからバラナシへバス移動

今日は、13日間滞在したカトマンズとお別れして、インドへ向かいます。


お金もほとんど残っていなかったので、安いと噂のローカル食堂へ。

ここで、バニララッシー(60ルピー)とフライドライス(80ルピー)、
バっファロー肉入りフライドモモ(110ルピー)を注文しました。





バッファロー肉は初めてだったのですが、
これも肉の味がしっかりしてて割りと好きでした。
ただ、モモとしては揚げたモモよりも、
普通のスチームモモの方がくどくなくて個人的には良かったです。
値段もそっちのが安いですし。


フライドライスは普通でしたが、ラッシーもすごく美味しかったです。


おやつ兼晩ごはんには、フライドポテトを。
こちらもカトマンズで評判のお店だったのでいってみました。


ネットの情報では、150ルピーだの190ルピーだの書いてあったのですが、
いざ行ってみると270ルピーになってました。
地震の影響でしょうか...


ちゃんと揚げたてを出してくれて、
そこそこ大きめのカットなので、
ポテトって感じがして、これも美味しかったです。
ソースも、ケチャップとマヨネーズと玉ねぎで出来た、
辛くないソースも用意してあります。




予想外にポテトが高くて、
タクシーに乗れなくなってしまったので、
諦めて歩いて向かいました。笑



1時間程歩いて、
バス停までたどり着きました。
チケットに書いてある出発場所が、
手書きで無茶苦茶読みにくくて、
バスの場所自体もすごく分かりにくい場所にあったので、
結構苦労しました。
簡単に書くと、
モンキーテンプルの左端のところから、
幹線道路沿いに2分ほど南に下ったところです。



発車まで1時間ほどあったので、
その辺を散歩していると、
ゴレパニのゲストハウスで会ったネパール人の集団と、
偶然再会しました。
正直ネパール人の顔は見分けはつかなかったので、
自分はわからなかったのですが、
向こうが覚えててくれました。笑


まさかの場所だったので、
チャイを飲みながらお話していると、
今度は1ヶ月かけてネパールを紹介してあげると。
彼らがネパールを好きなことはすごく伝わってきたのですが、
社会人になってからはそんなに休めないので、
1ヶ月かけてネパールを知り尽くしたい方がいたら、
紹介してあげます。笑


そんなこんなで、無事午後7時に、
カトマンズ発バラナシ行きのバスに乗ることが出来ました。
このバス、2600ルピーで、15時間かかると聞いていますが、
イミグレの開く時間的に、どう考えても15時間で到着しないことは予想できます。笑
今回は何時間かかるのでしょうか。


国境の街スノウリには、朝の5時に到着しました。
この街、噂にはものすごく治安の悪い街で、
色々なトラブルが絶えないと聞いていたので、
かなり警戒していたのですが、
最近はそんなこともないらしく、
何事もなかったです。


6時にネパールのイミグレが開いたので、
バスの乗客みんなでぞろぞろと出国スタンプをもらいに行きました。


このイミグレは一見民家みたいで、
非常に分かりにくいです。



これで30分ほど待たされたので、
すぐ近くにあった屋台のチャイを飲んでいると、
木を燃やして暖をとっていたネパール人の家族に手招きされたので、
お邪魔させてもらいました。
1人で旅行をしていると、
言葉は喋れなくても、こういった風に呼んでもらえることも多いので、
とてもありがたいです。



次に、インドのイミグレの前に、
荷物検査があったのですが、
これが空港のものよりもかなり厳しい。
大きい荷物、小さい荷物ともに、
かばんの中身を1つ1つ開けて、
細かく全てチェックされました。


自分の荷物は少ない方だったらしく、
「良いバックパックだ」とお褒めの言葉を頂きました。
検査する人も何百人のバックを細かく見るの、めんどくさいんでしょうね。



全員の荷物検査が終わると、
今度はインドのイミグレで入国手続きです。
こちらもネパールのイミグレ同様、一軒家のようで分かりにくかったです。
自分たちはバスのスタッフが連れて行ってくれたのですぐにわかりましたが。



全ての出入国の手続きが終わって、すでに時間は午前の9時。
出発から14時間経過しています。


結局、途中でお昼ごはんを食べることになったのですが、
バラナシに着いてからお金を引き出すつもりだったので、
インドルピーを持っていませんでした。


しょうがないのでその辺をぷらぷらしていると、
同じバスのドイツ人が声をかけてくれました。
「へい、ご飯たべないのか?」
「お金下ろしてなくてね。ATM探してるんだ。」
「ここのご飯、70ルピーだから、そのくらいおごってあげるよ。マスター、マイ・フレンドにご飯を用意してくれ」


初対面でしたが、本当にありがたかったです。
さすがに申し訳ないので、
タクシーでたまに使える、1ドル札を渡しましたが。


このドイツ人、
すでにご飯を右手1つで食べていました。
只者ではないと思っていましたが、
やはり以前に3ヶ月ほどインドにいて、
インドの魅力に取り憑かれてまた来たみたいです。
インドが楽しみになってきました。


昼飯も終わり、
結局、到着したのは夜の7時、24時間かかりました。
遅れることは分かっていましたが、9時間オーバーは今回の旅の最高記録です。


バスターミナルについた直後、
予想通りに大量のリキシャーマンに声を掛けられました。
後から考えればそんなに高い値段でもなかったのですが、
当時は言われた値段が異常に高く感じたのと、
疲れてて交渉を詰めるのがめんどくさくて、
結局ホステルまでの4km の道を歩きました。


明日は1日バラナシなので、
ガンジス川を眺めてこようと思います。