2017年1月25日水曜日

23日目、アンナプルナエリアトレッキング タトパニ〜ガサ

タトパニからガサへ向かいます。


昨日、サントスを宿で見なかったので、
どうしてたのか聞くと、
たまたま別の友だちがタトパニに来ていて、
お喋りに花が咲いたらしく、
外でオールをしていたようです。
朝会った時に、アイムオーケーオーケー言ってましたが、
ものすごい眠そうです。
大丈夫なのか...


昨日までの道は、車の通れないような山道を歩いていたのですが、
今日からは、車の通る道を歩いて行きます。


その道なのですが、
全く舗装されておらず、
車が通ると、砂埃が舞います。
この砂埃のことを、地元では、
「ネパーリー・パウダー」
と呼ぶらしいです。笑




昼ごろになると、たくさん車が通って、
このネパーリー・パウダーがひどいことになるので、
今日も朝早く出発することにしました。


歩きながら、
ネパールにはこの種のジョークがたくさんあることを聞きました。


例えば、冬場に太陽が登ってくると、
「おお、私のダウンジャケットよ」
夏場、雨季に木を見つけると、
「おお、私の傘よ」
などなど。


最初、サントスがいきなり、
「今2枚のダウンジャケットを着ているから暑いよ」
とか言い出したので、
眠すぎてついにおかしくなったかと思いました。笑


さらに、ネパールでは、
各ファミリーネームごとに、家庭で異なる言語を使っているみたいです。
例えば、鈴木さんなら鈴木語、
佐藤さんなら佐藤語、って感じです。
もちろんネパールには、日本みたいに何万も苗字があるわけではないのですが、
100以上はそういった言語が存在するみたいです。


生まれてはじめに覚える言語は、その家庭ごとの言語なのですが、
それではネパール人同士でコミュニケーションを取れないので、
成長するにつれて、ネパール語を覚えます。
さらに、小学校に入ると、英語の教育も始まるので、
実質3つの言語を扱えるらしい。


自分はネパール語と家庭語は分からないので、聞き分けが出来ませんでしたが、
確かにほとんどのネパール人とは英語で会話が出来ました。
ネパール人、恐るべし。
ネパールが発展して、海外に出てくる機会が増えると、
もっと活躍できるかもしれないですね。


今日の道は、禿山が目立ってきて、
独特な風景でした。
また、村の間を通っていくので、
現地の生活風景も見ることが出来ました。







ここでは、洗濯は手洗いで、
火も薪を使っておこしています。
そのため、薪を斧で切っているのも見かけましたし、
鶏や牛、羊を飼っている家もたくさんみかけました。
物を運ぶためのカゴも、手作りしています。






昔の日本にあったような生活を、
ネパールではまだ送っています。
一見不便ですが、
こういった暮らしもいいなと感じました。


歩き始めて1時間半で、ティータイムをはさみました。
マサラティーを頼んだのですが、
このミルクティー、地元の牛から絞った牛乳を使っているみたいです。
スパイスも効いてて、すごく美味しかったです。
こういったお茶を、その辺の道にある店で、
50ルピー程度で飲むことができます。

さらに歩いていくと、滝が見えてきました。
滝の名前は分かりませんが、
この辺りでは有名な滝のようです。




体中、ネパーリー・パウダーまみれになりながら、
午後二時には目的地、ガサに到着しました。
サントスも無事に仕事をこなしてくれました。








他の街もそうですが、
特にここは穏やかで、かつ動物や畑もたくさんあって、
農村の暮らしをしていました。


今日の宿は、家族で経営しているロッジで、
自分たちの他に客もいなかったので、
家族だんらんの中に混ぜてもらいました。


色々お話したり、
壊れた電気湯沸し器の修理を手伝ったり、
料理をつくるとこを見せてもらったり、
なかなかできない経験ができました。


晩ごはんは、
このロッジの敷地内で作っている野菜と、
飼っている鶏の肉を使った、
定食をいただきました。
自家製の米焼酎のような、現地のお酒も頂いて、
大変満足でした。


宿の一家の晩ごはんで、
みんな集まって食べていたのですが、
小学生の娘さんは、別の部屋にあるテレビを見たいらしく、
一人でテレビのある部屋にご飯をもっていって、
親に何度も叫ばれているのを聞きました。
言葉は分からなかったですが、おそらく、
親が部屋に来なさいと呼んで、
娘さんが、もう少し、もう少し、と粘っていたんでしょうね。
しばらくすると、テレビを消してみんなのいる部屋に戻ってきました。
こういったところを見ると、日本の家庭と変わらないですね。

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